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1.ロッソ=ブランドの手記(1) 小鳥のさえずる声で目が覚めた。秋の空は青く澄み切っていて雲ひとつない。本来なら清々しい目覚めを感じて一日に希望を持つところなのだろうが…… 「痛ッ………!」 机に座って本を読みながら意識を失った私は首を軽く捻っていたらしい。立ち上がろうとした時に首が微妙に揺れただけで激痛が走る。 しかも頭は全くすっきりしない。ついでに言えば硬い椅子のせいで腰は痛いし……はっきり言って最低の目覚めだ。 「先生ーっ。起きてますかぁー?」 「ああ。少し待っててくれ。」 一階から私を呼んだ声……その主はその場の流れからつい二週間前に私の家に泊めるハメになった少女、キャサリン=テューウェッドだ。彼女の希望で私は“ケイ”と呼んでいるが……とにかく純粋と言うか……あらゆる面で抜けている。まぁ、仔細はおいおい語っていくとしよう。 その辺にあるワイシャツと黒スーツのズボンを適当に掴んでそれに着替える。ケイにも言われたが、私は黒スーツしかない。いちいち選ぶのが面倒と言うのもあるが、職業柄か、結構あっちこっち振り回されるので何処から呼ばれても上着を羽織ればすぐ行けるようにしているのだ。 部屋を出るの前に洗面所の側にある青いネクタイを締める。あとは鏡を見ながら我ながら感心するほど協調性の無い赤い長髪を無理矢理お湯と櫛で最低限見れる程度に整える。しかし、それでも御世辞にも整って居るとは言えないだろう。―毎朝恒例の髪に関する悩みを心の中で吐いた後、首の後ろあたりの髪をゴムバンドで留める。 「ま、こんなモンか………」 自己評価して70点のくらいの身なりを確認してから少し足早に部屋を出て一階へ降りた。多分、今頃― 「あ、先生。おはようございます。朝ごはんを―」 「わかってるよ。」 予想通り彼女は朝食待ち受け体勢万全だった。彼女の抜けている面の一つは食事だ。包丁の持ち方を知らないだけならまだいいが、話していると彼女の今までの食生活が何だか恐ろしくなってくる。彼女の話が本当なら、私がたまに奮発して食べるようなものを彼女は当たり前に食べていたらしい。ついでに、そうなると当然だが食事は私が作る。作り方を教えることもしない。何かとんでもないことになりそうな気がするからだ。 ついでに、私の職業は医者だ。命を預る―と言えば格好いいが、私はそんな大掛かりなことはしない。と言うか、そんな大掛かりな場面には遭遇しない。治安がそれなりにいいこの街で生死をかけた場面になど遭遇するわけがない。結局、私の仕事は昼までは軽い病気の治療で夜は酔っ払いの人生相談だ。……医師仲間から情報提供を協力されて始めたカウンセリング(私がやるハメになったのはグチ聞きと言ってもいい)だったが、気付いたら飲み屋を追い出されたり家に入れてもらえない酔っ払いが鬱憤を晴らしに来る場所へ変貌していた。 朝っぱらから憂鬱な気分のまま朝食が完成し、食卓へ運ぶ。 「頂きま〜す♪」 「……………」 元気なケイがある意味羨ましい。例え頭の中身が― 「? ぼーっとしてるとせっかくのごはんが冷めちゃいますよ?」 「え、あ、あ、ああ…………」 ある意味ではなく、絶対に羨ましい……まだ一週間だが、彼女が憂鬱、またはその傾向の状態になっているのを見たことが無い。私もできるならそんな生活がしてみたいものだ…… 「先生、今日はどうなさるんですか?」 「ああ……午後は1時間くらい面会の約束してるヤツがいるな。あとはいつも通りだ。ケイは出掛けるなり何なり好きにすればいい。」 「いつも一緒ですねぇ……つまんないとか思わないんですか?」 「仕事だからな。そんな贅沢は言えないよ。」 ケイはしばらく考えてから自分の分の皿を洗ってから街へ出掛けていった。食事の作り方は教えていないが、流石に皿洗いだけは教えておいた。……と言うか、それくらい元々出来てもいいものだが。 それにしても、彼女は一体何者なのだろうか?場の流れで半ば強引に引き取ることにされたが、よくよく考えてみると素性その他一切全く知らない。わかることと言えば能天気な性格だと言うことだけだ。 「あの野郎……」 私はケイを連れてきた男を思い浮かべながら呟く。もういい加減、できれば今日中に聞いておきたい。別に害があるとは全く考えられないが、実はとんでもない額の借金があるとか、極道系の男に追われているとか、そういう父親がいるとか……頭に思い浮かぶような下らないものでなくとも、何かしら問題がないとは言い切れない。 ゴンゴン。 玄関を叩く音がする。来客らしい。私は椅子から降りると、玄関の方へ足を向けた。技師に頼んで勝手に鍵が閉まるような仕組みにしてみたのでわざわざ鍵をかけずとも扉はロックされているのだ。 「よぅ、ロッソ。元気か?」 「…………お前がいなければ少しはな。」 扉を開けると、そこにいたのは例の―ケイを連れてきた―男だった。名前はヴィンセント=ジェズアルド。不本意ながら10年来の友人だ。全身紺色の服で所々に白い布を巻きつけた妙な格好に銀色の髪と青い眼。とにかく人の目を引きまくる変なヤツだ。職業は表向き軍人で通っているが、軍服を着たところなど誰も一度も見たことがない。こいつは他にも私に数え切れないほどの厄介ごとを押し付けてきた。はっきり言って変人の見本とでも言える人物だ。 「まぁそう怒るなって。ちょっと中入るぜ。」 私の知る限り最高に変なヤツだが、直接物理的が害は起こさないので応接間に通すだけなら問題ない。その後話すと問題が起きやすいのだが……… 「で、何のようだ?」 「いや、ケイはどうかと思ってね。」 とりあえず言いたいことは山ほど…夜空の星の数ほどある。とりあえず口をついて出たのは― 「あいつは何なんだ?」 私の心をそのまま何のフィルターも通さずに出た言葉だった。あまりに抽象的だが、これ以外に何とも言いようが無い。 「何言ってんだよ。全く……オレとお前の仲だからこそあんな可愛い子を連れてきてやったのにそんなこと言われるとはねぇ。」 透き通るような青い眼に青い髪。純粋な(はずの)心。確かにそこら辺の町娘では到底比較にならないが― 「……そういう問題じゃなくてな、身元も全くわからない奴をいつまでも置いておくのも気がかりなんだよ。最近、色々と物騒だしな。」 「そんなこと別にいいじゃねぇか。細かいこと気にするなって。」 目の前の阿呆の理解できない次元での発言に私は言葉を失った。そして― ドガッ。 「がふ!?」 悠々と座っているヤツに向けてありったけの殺意をこめたミドルキックを叩き込む。 「細かくない。と言うかだ……マジメに答えろ。」 「いや、オレも知らねぇし……」 ドガッ、ベキッ、ズゴッ。 「ちょ、ちょっと待てって!マジ蹴るな!頼むから……」 私は昔それなりに鍛えたので運動能力に自信があると言っても、所詮医者だ。その蹴りに怯む軍人もどうかと思うが、この際は気にしない。むしろ好都合だ。 「順を追って、私が納得できるように、嘘偽りなく話してみろ。」 部屋の隅へ逃げていたヴィンセントは両手を挙げて何度も首を縦に振る。 「まったく……お前が拒否したらケイとオレが困るんだけどな……まぁ、何も知らないってのも確かにアレか。」 ちょうどその時。 「先生ー。いるかい?」 外からノックする音と声が聞こえる。声から推測するに、医療用の物資を私にいつも調達してくれるジャックだ。……いいタイミングで来たもんだ。 「ヴィンセント。私はこれから仕事だ。……話は後で聞くからさっさと帰れ。」 ジャックが入ってくるのと同時に、気付いたらヴィンセントは既に外へ出ていた。 「ねぇ、先生ー。」 早めに夕食を用意していると、何やら買い込んできた帰ってきたケイが話しかけてきた。いつも多少は何か買う分の金は渡してあるのだが、いつも完全に手ぶらで帰ってくる。しかし、今日はその限りではなかった。今までの分を溜めてからまとめて買い込んできたのだろうか。足りないなら言えばいいのだが……そんな様子は少し健気に見えた。 「あの酔っ払いの相手って何か意味あるんですか?」 「………カウンセリングだ。別に酔っ払いの相手が目的じゃない。」 「でも酔っ払いしか来ませんよね?」 痛い所を突くな……だが確かに言う通りだ。中には規定通りの金額を払わないヤツもいるし、しかもそういうヤツは酔い過ぎで身元すらハッキリ言えない。自分でもたまにやっている意義を疑うのだが……別にケイに干渉される覚えは無い。とりあえず、話の続きを「それで?」と言った感じの目で促す。 「そんなつまらないことやめて、代わりに私に勉強教えてくれません?」 「は?」 意味が分からない。何で仕事の代わりにケイに勉強を教えるということになるんだ?別に教えてもいいが、脈絡がなさすぎる気がするのは私だけだろうか。 「ダメなんですか?」 「別にダメってわけじゃないけどな……」 確かに、酔っ払い相手の謎のカウンセリングよりはマシだろうが……というか、私は今、ケイに押されてるのか? 「じゃ、決まり〜♪後から取り消しは無しですよ〜♪」 押されていると気付いた時にはもう遅かったらしい。 食後、ケイは何やら書いてある看板をどこかから持ってきてそれを外に掛ける。そして部屋に戻って本やら紙やらを持ってきた。……随分と周到な計画だな。今日買い込んできたのは此処らへんのものなのだろうか?……よく見ると、本だけは見覚えがある。確か相当前に………… 「あ、この本は先生のお部屋にあったものをちょっとお借りしたんですよ。」 「え、ああ…別に構わないさ。どうせもう必要ないだろうしな。」 本の題名には私の汚い字で「医学の基礎」とある。元々はで800ページくらいある本だが、勉強中の当時は貧乏だったので借りたものを何日も徹夜し続けて写したのだ。おかげでその後2日間は右腕が上がらなかったことを覚えている。そういうことを思い出すと、ひたむきな初心を少し思い出したりした。 「ところで、読み書きはできるのか?」 「もちろん。それくらいできますよ〜。」 ……普通、読み書きより料理が先に来ないだろうか……やはり、ケイはかなり裕福な生活を送ってきたのだということがわかる。 「ああ、悪かったな。じゃあ、簡単なところから始めようか。」 ケイは案外集中力があり、私の話を所々で頷いては本に書き込んでいった。私が昔書き込んだものとも合わせると結構ページ中にメモが散らばっている。ともかく、医学の基本中の基本、しかし全体に通じる考え方なり何なりを自分の教わったことと経験を合わせて語った。 気付くと、もう始めてから3時間経っていた。随分と熱中してしまったようだ。 「……さて、今日はこの辺にしようか。」 「は〜い。ありがとうございました〜♪」 ケイはここへ来てから今まで見せなかったくらい、満足そうに微笑んだ。案外、知的好奇心のあるタイプなのかもしれない。 ドゴンッ!! 昏々とした意識の中、私は何かが大きく裂け、響く音を聞いた。ただならぬ気配を感じた私は反射的に身を起こす。屋外…しかし、今の音がした場所とここはある程度は離れているはずだ。しかし、安心はできない。状況を確認する為、ベッドの下にある猟銃を手に取り、屋外へ駆け出した。 屋外へ出ると、確かに何か違和感がする。音一つしないいつもの夜中だが、何か巨大な気配を感じる。それが何かはわからないが、確かに― 「動くな……」 「!!」 急に私の背後に現れた鋭い殺気……私が全く気付かぬ間に猟銃は銃口を裂かれ、異様に光る刃が私の咽元に突きつけられていた。相手の顔や姿は確認できない……が、私と同じくらいの年の人間と思われる。大人しくしてもいいが、ここは…… 「……………!!」 様々な感覚が頭の中に沸いたが、実際には殺気を確認してからほんの一瞬だっただろう、私は役立たずになった猟銃を手放した。そして同時に、右腕で後ろから咽元を威圧している刃を根元から掴む。 「な……!」 後ろの男は驚きとも何ともつかない声を上げ、一気に後ろへ飛び退いた。私の掴んだ刃は何処かへ消え去っている。しかし、折れたわけでも手放したわけでも鞘に収めたわけでもなさそうだった。 感覚的には何分間も……しかし、実際に敵として向かい合ったのは2,3秒だった。 私達は、互いに相手を確認することができた。 「……ヴィンセント…………?」 「ロッソ!?なんで、こんな所に……」 闇の中での友人との出会いは偶然だったのだろうか。それは今となってもわからない。しかし、この時に確実に、何かが変わった。そこで見る彼は私に知る彼ではなく、彼の見た私もまた彼の知るものではなかった。いや、或いは私があの刃を掴まなければ何も変わらなかったのかもしれない。そんな些細な巡りあわせとともに……奇妙な夢のような日々が―始まろうとしていた。 |
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