5.ロッソ=ブランドの手記(4) 「まずいな…大分、遅くなってしまったな……」 あれから四日後、睡眠不足の私は王立病院にいつものように出勤したが、不運にも急患続きで夜になる直前まで解放されなかった。ついでに、ケイにはちゃんと人伝てに伝えてある。しかし、こう暗いといつかのように災難に巻き込まれそうで不安だ。ここのところ何故か災難続きだからな…… 家まで近付くと、異様な気配を感じた。今までのと同じ、悪魔の気配……最近、何か悪いものでも取りついているのだろうか。とにかく、今までと同じように、警戒して歩を進める。方向は、恐らく右斜め前方。しかし、姿は全く見えない。 「思い過ごしか……?」 そう思った瞬間、全身に悪寒が走った。本能の告げるままに思いっきり左へ跳んだ。が、何か針のようなものに脇腹を刺された。それとほぼ同時にヴィンセントの言う“霊手刀”を瞬時に発動させ、針のようなものが飛んできた方向へ突き進んだ。その時… 「危ない!下がって!」 見知らぬ声だが、私はそれに従い、後ろへ退いた。すると、私の突き進んでいたであろう場所の地面が突然銃弾の雨を受けたように穴だらけになった。どうやら敵は予想よりずっと遠くにいたらしい。誰か、恐らく霊術師と思われる者が近くにいることもあって、私は物陰に姿を隠した。…が、その必要もないほど、一瞬で悪魔は絶叫を上げて倒れた。 「ふぅ……大丈夫でしたか?」 その方向から歩いてきたのはケイと同じくらいの年の少年だった。白い服が闇夜に映えている。 「ああ、ありがとう……」 その少年は年に似合わぬほど落ち着いている。 「僕はテレワール=エイクル。教会の霊術師をしています。初めまして……ロッソ=ブランド先生。」 彼はそう言うと軽く笑った。 「どうして私の名を……?」 「最近霊術師の間ではちょっとした話題になってますから。まぁ、それはともかく……防御手段も無しに主天使級の悪魔に突っ込むとはムチャな方ですね……っと、姉の支援…と言うか、事後処理に行かなくてはならないのでこれで。機会があればまたお会いましょう。では。」 私をもう少しで殺しそうになった悪魔をいとも簡単に片付けた少年の背中は、あまりに普通だった。強者の雰囲気とか、殺気とか、そういうものが全く無い。私には普通の少年が走っているようにしか見えない。 「………正規の霊術師とは強いものだな……」 私は、自宅を悪魔が襲撃した翌日のことを思い出していた。 夕方にヴィンセントが私の家を訪れてきた。その時、初めてフィエールの濃紺の軍服を着ているのを見た。もっとも、いつもの包帯を巻きつけた服装の上から着ているだけだったが。そして、階級章が見当たらない。 「ロッソ……ちょっといいか?」 「ああ……」 ヴィンセントを応接間に通すと、彼は椅子に座らない内に口を切った。 「ロッソ……お前の処分が暫定だが……決まった。」 「そうか……」 処分……その言葉が重く、強く響き渡る。それは、ヴィンセントの声がいつになく沈んでいたからだろうか。それとも…… 「王立病院の医師の身であるお前は軍人にはなれない……通常、霊術の発現者が軍に参加できない場合は霊術の永久封印、及び霊術に関するの記憶の封印を行う。」 「な……記憶を……?」 その内容に思わず聞き返してしまったが、ヴィンセントは無視するかのように、或いは私の言葉を遮るかのように言葉を継ぐ。 「だが……今回、スティア=フェルシア少佐並びにオレの判断によりこの件は特例として扱われることになった。」 「特例?」 「お前の習得した霊術、霊手刀は軍にもいないほどの高いレベルを誇っている。それをむざむざ消してしまっては国益に反しかねない。その判断の下、お前を臨時戦力の霊術師として扱えるよう戦闘育成を行う……これが暫定の決定だ。」 つまり、正規の軍人として扱えないから準軍人といった感じで扱う……ということだろう。 「ま、戦闘育成って言ってもオレとの軽い模擬戦だ。一応、明日から始めるから夜は空けとけよ。」 「あ、ああ………」 翌日からヴィンセントと軍の施設で戦闘育成…模擬戦が始まったのだが、ヴィンセントの実力は正直半端じゃない。動いたと思った瞬間にはもう背後を取られている。しかも殆ど止まらない。常に小刻みに移動し、一瞬でも隙を見つけると背後から決めに来る……2日で50回くらいは後ろから一撃を受けたのではないだろうか。そしてさっきのテレワールと言い……何故私をわざわざ訓練する必要があるのかわからないくらい化け物のように正規の霊術師は強い。 「あ、おかえりなさ〜い♪」 家に帰ると、玄関でケイが出迎えてきた。 「ああ、ただいま……」 そのまま急いで晩飯を作り、私は少し食べただけで家を出なければならない。今日も、ヴィンセントの“戦闘育成”があるからだ。 そして、家を出ようとすると、ケイがいきなり立ち上がった。 「あ、ちょ……」 「ん?何だ?」 「ちょっとお喋りしましょうよ。最近あんまり……」 「すまんな。私も外せない用なんだ。また今度……な。」 後ろから色々聞こえたが、聞こえないことにしてさっさと家を出た。 「お、来たか……」 軍の施設の入り口でヴィンセントが待っていた。今日も軍服を着用していない。というより、ここの施設の人間は誰一人軍服を着ていない。どうやら、軍の施設だということを公にしたくないそうだ。そして、彼の足下には彼の犬……ではなく、狼がいる。前言っていたペットとはこの狼のことらしい。……狼を人間が飼うとは信じがたいが。名前は神話の英雄にあやかってアイアース、と名付けたらしい。……もはや私にはついていけないので好きにしてくれ、という感じだが。 「悪いな……今日は色々忙しくてな。」 「いや、こっちこそ……無理言ってすまんね。」 施設の中に入り、階段を下り、さらに進んだ所に大きな扉がある。そこを両手で押し開けると、大きな空間……もはや部屋ではなく空間と言うに相応しいスペースがある。ここでは霊術の威力が弱まり、生命の危機を排除して訓練できるらしい。 「そういや、今日はアイツ……テレワールとかいうガキと会っただろ。」 「……ああ、そういえばそうだったな………」 「アイツも一応、上級の霊術師なんだけどな。見た感じ、どうだった?」 「強い……としか思わなかったな。というか、それ以外の感想が出てこなかった。」 ヴィンセントもそうだが、テレワールという少年はとにかく反応の一つも返せないスピードで突っ込んで更に速い攻撃を繰り出した。いくら私の攻撃が強かろうが、絶対に当たるわけがないのでははっきり言って比べることすらできない。それが彼らなのだ。 「ま、霊術の基本は己の霊力を消費して生み出す高速の体術だ。オレもテレワールもそれをやってるから速いだけで、身体能力そのものはたいして変わらないと思うぜ。けど……お前の場合、両手以外に霊力を回せない……そういう場合はどうすればいいかわかるか?」 まるで私の思考を見透かすような発言だったが、彼から投げられた問いの答えなど当然知るわけが無い。 「さぁ?わからんね……軍人顔負けの超人的な身体能力でも身に付けるのか?」 「そりゃいくらなんでも無理だろ。ま……結論を言えば、戦い慣れる、ってコトだ。例えば、長距離だとお前の方が不利でも短距離なら実際に速く走れる方が有利だ。純粋に足の速さなら自信あるだろ?その長距離と短距離の境界線とか、そういったものを慣れで掴む……コイツはそのための訓練だからな。」 確かにそんな感じもするが……私の頭には別の疑問が浮かんだ。 「それはわかったが……何故私をわざわざ強くする必要がある?強い霊術師なら十分いるんじゃないのか?」 ヴィンセントは一瞬、視線を私の手の方に移し、再び元に戻した。 「そいつはまだ……答えられないな。」 「?」 「一応、この訓練は暫定処置だ。通常の処置のちょうど中間、その気になればどっちにでも移行できる。……で、現在主都リスカのデオフィート少将にこのことが伝わっているはずだ。もうじき……少将閣下が下した最終決定がこっちに来るはずだ。言うとしたらそのあとだな。」 それから、再び戦闘に慣れるための訓練が始まった。帰る前に聞いたことだが、デオフィート少将というのが軍全体の霊術師・魔導師を総括しているらしい。 |
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